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パチスロの歴史(1) 0号機から3号機

 ここでは、パチスロの○号機の歴史を中心に、パチスロの歴史をまとめます。

 2007年現在5号機時代に突入しています。






0号機(1957年から1985年)



米国により持ち込まれたスロットマシーン(1957年)


 正確には0号機という番号は存在しないようです。

 一般的に0号機と呼ばれているのは、「新風俗営業法」というものが施行され、 保安電子通信技術協会によるパチスロの認定制度が確立される前までの機種を呼ぶようです。

 そもそも、パチスロは米国のスロットマシーンが沖縄に持ち込まれたことが始まりといわれています。

 ですので始めはカジノやゲームセンターにあるようなスロットマシーンでした。巨大なレバーでリールを回し、自動でリールは停止しました。 また、成立ラインも1ラインや3ライン、5ラインと適当だったようです。

 しかし、これは沖縄内でのことであり、本土に持ち込むには、この自動で停止するという、技術介入の余地が乏しい状態を変える必要がありました。

 (どうやらギャンブル性のある遊技機では技術介入の余地がなくてはならないようです。(自らボタンを停止するといった行為))

 そして現在のパチスロの基礎ができました。



営業許可を得たスロットマシーンが登場(1964年)


 1964年のことです。オリンピアによる初の営業許可を得たスロットマシーンが登場します。

 ストップボタンによるリール停止が可能なマシーンです。

 ちなみにこのころのスロットマシーン(0号機)は、完全に目押し可能だったそうです。 (ただし、リール回転スピードは現在のものよりかなり速かったため、目押し自体が困難だったようです)

 その後、メダル投入型スロットマシーン(それまでは直接現金硬貨投入)、REGボーナスゲーム有りスロットマシーン(それまでは、絵柄を単にそろえるだけ)が登場します。



3メダル5ライン仕様のスロットマシーンが登場(1964年)


 1977年ジェミニによる3メダル5ライン仕様のスロットマシーンが登場します。

 この3メダル5ライン仕様のスロットマシーンには、目押しだけでは絵図らが揃えられないよう最大4コマすべり機能が搭載されました。



パチスロの登場(1980年)


 1980年パチンコ型スロットマシン、つまりパチスロが登場します。

 パチンコ型スロットマシーンとは、すでにあるパチンコ店に導入しやすいよう、形状をパチンコと同じに箱型にしたスロットマシーンです。

 そして、この頃BIGボーナスゲームも取り入れられます。

 これが現在の日本のスロットマシーンの原型と言われています。




1号機(1985年から1987年)



1号機が登場(1985年)


 1982年(昭和57年)5月、(財団法人)保安電子通信技術協会(保通協という)が設立されます。 そして1985年2月に、新風営法が施行され、この中にパチスロの営業法が含まれました。ただし、名称はパチスロではなく回胴式遊技機。 そして、保通協が同年同月、国家公安委員会から遊技機試験及び型式試験の指定試験機関として指定を受け、パチスロの認定制度が開始されます。

 この検定に合格したマシーンが1号機となりました。



ホールの状況


 そして複数のパチスロがホールに設置されていきます。

 そしてパチスロの設置数が増えると同時に、ボーナスが連続しやすくなるように基盤を改造したり、 メーカの基盤不具合をつくような攻略法が多く出回わったりしました。

 理由の1つには、この頃の基盤は、各メーカ独自の仕様で作成されていたようです。




1.5号機の登場(1987年から1988年)



1.5号機が登場(1987年)


 そして、不正改造を防止する為の対策を施した、1.5号機が登場しました。

 対策の内容は、日電協が定めたROM実装を義務化することで基盤を封印するというものでした。

 また、それまで基盤はむき出しであることが多かったため、ケースに入れることを義務化しました。

 ただし、この後すぐに規定内容が見直されることで、すぐに2号機が登場しました。




2号機の登場(1988年から1990年)



2号機が登場(1988年)


 1988年検定内容が見直され、2号機が登場しました。検定内容の見直しは、常にそうなのですが、 射幸性が低くなるように調整されます。

 実際2号機の主な検定内容は以下のようになりました。

 これらは主に射幸性を低くするために追加されました。

 例えばウェイト機能の搭載とは1ゲーム4秒以上待つ必要があるということです。どんなに早くゲームを開始しても(レバーを叩いても)4.0秒以内には開始されません。

 これによって、ゲーム回数を制限できるため、それだけ使うメダル数が制限され、使う金額に制限を持たせることができます。

 この機能は3号機からは4.1秒として残っています。

 また、ボーナス抽選の完全確率化や、規定獲得枚数の減少も、リスクとリターンを低くするために追加されました。

 これら規定は現在の5号機でも大まかに引き継がれています。



完全確率とは


 ところで、このころからパチスロ業界には完全確率化という言葉が出てきました。

 この意味は、いついかなるときでも確率が同じということです。

 例えば10本のくじの中に当たりが1本入っているくじがあると思います。

 この場合、始めの人が当たりを引く確率は10分の1です。

 しかし、1番目の人がはずれを引いた後、2番目の人が当たりを引く確率は9本中1本当たりが入っているため、 9分の1となります。

 すなわち、このようなくじの場合は、それまでの状況によって当たりを引く確率が変わってしまいます。

 パチスロをこのような確率にしてしまうと、ボーナスが出ていない台は、ボーナスを引く確率が高くなっていき、 また、ボーナスが出たばかりの台はある程度まわさなければボーナスが出にくい状態となり、 そのときそのときでボーナスを引く確率が変わってしまうことになります。

 そこで、完全確率化というのは、くじを引いた人はそのくじをまた元に戻すようにした確率とし、2号機以降、完全確率化が検定内容に加わりました。

 つまり、完全確率化では、始めの人がくじを引いてもそのくじはまた元に戻すため、 2番目の人が当たりを引く確率は10本中1本あたりが入っているため、10分の1で変わりません。

 誰がいつ、くじを引いても確率は変わらないということです。

 そして、2号機以降、この完全確率方式が採用されます。

 しかし、後ほど記述しますが、4号機のストック機能等で、うまく規制の穴をつくアイデアで、 まるで完全確率ではないようなボーナスが放出する流れになってしまう機種が多数登場するようになります。




3号機の登場(1990年から1992年)



3号機が登場(1990年)


 1号機から2号機と同じく、射幸性が低くなるよう検定内容が変更されました。

 実際3号機の主な検定内容は以下のようになりました。

 1号機から2号機ほどの変更内容はありませんでしたが、小役集中機能が廃止されたことで、 それまでの2号機のように小役を集中させることでメダルを増加させていくことができなくなりました。



新規メーカ参入と裏モノ全盛期


 このころから新規メーカが続々と登場してきます。そして、裏モノの全盛期となっていきます。

 裏モノとはBモノとも呼ばれ(BとはBackの意味)、保通協での認可が下りてから、主に正規の基盤を交換し、意図的に連荘や大ハマリをするようにした台です。 それ以外にはハーネスの交換等もあります。

 裏モノの多くは、ホール関係者がユーザを増やすため、また利益を上げるために設置することが多く、 この後訪れる警察による裏モノの撤去ではホール関係者の摘発が頻発しました。

 小役集中が廃止され、集中役のパンク確率も上がりましたが、こうした裏モノが多くあふれ、 また、機種の不具合をつく攻略法が蔓延したりと、この頃のホールは変に活気があったそうです。

 実際に設置されている台は、正規のものよりも裏モノのほうが多くあったぐらいだそうです。

 ただし、あまりにも裏モノばかりになってしまったため、1992年、ついに裏モノの摘発が開始されます。

 そして、新たに規制内容も変更されました。これ以降3号機は姿を消していき、4号機が登場します。


>> パチスロの歴史(2) 4号機から5号機

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