パチンコの起源は大正期(2009/02/06)
参考…「朝日新聞(2009年2月6日)パチンコ大正期に起源」から |
パチンコの起源は今まで1932年に国内で製造された「コリントゲーム」と言われてきていましたが、この定説を覆す昭和初期に存在していたパチンコ台が見つかりました
パチンコの起源は
今までパチンコの起源は、釘を打った横置きの盤面で玉をはじく「コリントゲーム」というのが定説でした。
この「コリントゲーム」は1932年(昭和7年)に国内で製造されて大流行し、後にこれを直立させたものがパチンコになったと言われていました。
この最古のパチンコ台は「岡式電気自動球遊機」のことで、縦86センチ、横55センチの木製の枠にブリキ張りの盤面が張られ、「本塁打」「二塁打」「アウト」の穴があり、硬貨投入口に一銭玉を入れると金属玉が1つ出てきます。そしてこれを手打ち式ハンドルではじく、いわば野球ゲームでした。
ただこれは名前こそ「自動」ですが裏側には機械らしい仕掛けは何もありませんでした。
これが「一銭パチンコ」の名で昭和初期に親しまれていました。
昭和初期説覆すパチンコ台の発見
今回横須賀の杉山さんが発見したパチンコ台は、この「一銭パチンコ」の前身とも呼ばれるもので、大正末期の英国伝来の「ウオールマシン」と呼ばれるものでした。
この「ウオールマシン」と呼ばれる縦置きのゲーム機は日本で製造され、29年に実用新案として大阪の業者2社から出願されていたそうです。
この「ウオールマシン」の背後の機械類の取り外した状態のゲームが「一銭パチンコ」だったそうです。
当時の状況
この頃の当時を知る人によると、パチンコ台の背後では香具師(やし)が台を操作し、口上で客を引きつけていたそうです。
仕掛けを外したのは、台の軽量化や扱いやすさなどが理由と見られ、その結果数台並べて列をつくるパチンコ特有の「シマ」ができ、今の屋内営業形式に繋がったと見られています。
近代パチスロの起源は
ところでパチンコの起源と同じように、もちろんパチスロの起源も存在します。
詳細は追々このホームページで紹介したいと思いますが、パチスロのルーツは戦後進駐軍によって持ち込まれたMILLS社の通称「ダルマ型スロットマシン」であると考えられています。
このマシンは硬貨を直接投入してスタートレバーを引き、有効ライン上に並んだ絵柄によって配当がなされるという、現在の海外カジノにあるようなスロットマシンでした。
そして賭博行為を禁止する日本においてはもちろんそのようなギャンブル性の高いマシンが認められるはずはなく、後にストップボタンを設け技術介入要素を高めた「オリンピアマシン」が登場することになります。
この辺りのパチスロの歴史についてはパチスロの歴史を参照ください。